シトシトと降り頻る雨。もう何日目だろう。 空気が、どんよりと 重く冷たく圧し掛かる。 お日様の光の欠片も見えない こんな日は、流石のボクも 気が滅入って来る。 言っても仕方の無い事だけど、でも ついつい口にしてしまう科白。 「雨、止まないね」 それを受けたシェゾは、魔導書からは 目も上げずに 至極あっさりと言い放つ。 「しゃあねぇだろう?」 「や、そりゃ そうだけどさぁ」 ボクだって判ってる。 今の時期は“梅雨”って言う、何日も何週間も 雨の日が続く頃だ、って事。 でもね。 「でも、つまんないよぉ」 「したら 大人しく勉強でもしていろ、この万年赤点娘が」 「ぶー!ひっどぉーいっ!!」 「本当の事だろう?」 あんまりな科白に 膨れたボクを、気にも留めずに軽く受け流す。 何だか 相手にもされてない様で、話し相手すらいないのも つまんない。 この雨の中“つまんない”って言ってるのも ボクだけな気がして、つまんない。 むくれるボクなんか 眼中に無い感じで 本を読み続ける シェゾに対しても、つまんない。 こんな風に考えるなんて まるっきり子供だけれども、そんな事考える 自分の“良い子”な部分も つまんない。 兎に角 兎に角、全部が つまんないのっ!! 何だか悔しいので、暇潰しに シェゾの目を魔導書から上げさせる方法を考えてみる。 えーと……あ、そうだ!いきなり シェゾの前に座って、寄っ掛かっちゃえ! いきなりの事だから、ビックリして 何の動きも出来ない筈。 で、寄っ掛かったら 読んでる魔道書の角が頭に当たるから…。 そしたら 大げさに痛がって、魔導書なんか読んでるからだー!って 言ってやるんだ。 多分『八つ当たりするな』とか反論してくるだろうけど、兎に角 ボクん家では 読むの禁止!って言って 魔導書取り上げて、んで 責任取って!って言って、相手してもらうんだ! とっても 普段のボクからは 考えられないスピードで思い付いたこの事に、自分でも満足したりして。 思い立ったら 即実行。 窓辺に立っていたボクは、すぐ傍のソファに座って 本を読んでいるシェゾに向かって 歩き出す。 まずは シェゾの足の間に座ってー……。 思ったより 驚いた素振りを見せなかったので、一寸がっかり。 でも、これは まだ一段階。これからだもんね、本番は。 本の角にゴン!すべく シェゾに寄っ掛かる。 結構痛いだろうから 首に力を入れてー、とか、折角 色々 覚悟を決めて 準備万端整えたのに。 なのに、予想に反して ぱほっ と、一寸間の抜けた音を立てながら、本にぶつかるよりも ずっと柔らかく、でも ソファよりも硬い、ついでに言えば ソファよりも ずっと温かい物体に突き当たる。 『えっ?!』 と 思い、シェゾの方に 首を回すと。 さっきまで 胸の辺りにあった魔導書は、今は 彼の目線の高さまで 上がっている。 「ち、一寸!何で 本、そんな風に読んでるのよー!」 そんな事したら、折角の計画が 水の泡じゃないか!! 「俺が どう読もうと、関係無いだろうが」 「そ、そりゃ そうだけど……。 でも でも!さっきまで ボクの頭の位置にあったじゃないかー!」 「ああ、寄り掛かる気配が あったからな」 やっぱり 魔導書からは 目も外さずに言ってくる。 「な……」 ……なんで そんな事だけは 判るのかなぁ?! 行動を読まれてしまって 面白く無い顔している ボクに構わず、更にシェゾは 「本に 頭ぶつけて 大騒ぎされちゃ 敵わんからな」 とまで 言ってくる。 「う゛っ…」 そこまで 読まれていたなんて……。 一から十まで 全てお見通しな科白に、ボクは 益々面白く無くなる。 これ以上は無い位に ぶんむくれたボクは、 ごんごんと シェゾに後頭部を打ち付けて ムカつきを紛わす。 「何してんだ お前は。読み辛いだろうがよ」 「ぶー!つーまんない、のっ!!」 理由にならない理由をつけながら、それでも ごんごんを止めないボクに 小さな溜息を吐きつつ、シェゾは いきなり肩(と言うか 首)に 左腕を回してきた。 と 同時に、ボクの右肩には 彼の顎が乗っかってくる。 『…へ?』 その 突然の行動に、正直言って ドキッ、とした。 『もしかして…つまんない、って言ったから 一寸は気にかけてくれたのかな? そ、それとも、その……な、何か あったり するの…かなぁ…?これから 何か、その…ええ、と……。 や、やだなぁ……心の準備が、まだ その……っ』 自意識過剰かな?と思いつつ、ドキドキして次の行動を待っていたのに。 なのに、何と言うか……全っ然 色っぽい方向に行かないんですけど? それは それで めっちゃつまんないっっっ!! …これ、ってば もしかして…。 「ネェ、シェゾ」 「ん?」 「…ボクノ肩、アゴ乗ッケルノニ チョード良カッタリ、スル?」 「ああ」 ムカつきを抑えながら言った所為で 随分平坦な物言いになった科白に向かって、至極あっさりとした物言いが返ってくる。 んじゃ んじゃ、この首に回った腕も、乗っけるのに丁度良かったり……する、って事だね。 だって 魔導書のページ、捲り易そうだもんね。そーゆー事なんだね。 まるで、自分が 抱き枕か肘掛にでもなった気分。 この状況は めちゃくちゃ面白く無いっ!! でも…たった これだけなのに、どうしてボク こんなに苛立つんだろう。 ……なんて、本当は ちゃんと判ってるんだけどね、理由なんて。 “シェゾは ボクの事を どう想ってるんだろう” そりゃ、敵だ 何だ、とは 言わなくなってはきてるけど。 でも、只 それだけだ。 好きだ、とか愛している、とか そんな事言われた事無いし――そりゃ 実際言われたら、余りの似合わなさに 引き攣っちゃうだろーけどさぁ―― 体の良い休憩処とか考えてるだけなのかな、なんて。 しかも、最近は食事時に来る事も多くなってるしね。食費浮いてラッキー!程度なのかも。 いや…もしかしたら、ボクを油断させといて、魔導力を奪う算段立てている可能性だって 捨てきれない。 それだけ 彼の魔導力に対する執着は物凄いし、そのお陰で 長い間 名実共に“敵同士”だった。 今は、表面上は“敵同士”なんて言わないけれど。でも、心の中では どう思ってるのかなんて判らない。 ボクの方は、確実に 彼に気持ちが傾いていて、色っぽく無い事言われたにも関わらず、この体勢に ドキドキしている。 魔導書を捲る時の 腕の動きや、視界の隅に入る その指の動き、そして 軽く揺れる頭と、いやでも ボクの頬や首筋に触れる 髪の感触。 これで ドキドキしない方が 絶対に嘘だ! ふ、と 思う。 ――今、この事を訊いたら 答えてくれるだろうか? “シェゾは ボクの事 どう想ってるの?” 今迄だって、何度も言いかけては 飲み込んだ科白。 でも、今なら 言えるかも。 気分に任せ、勢いに任せ、訊いてしまえば すっきりするのかな。この苛立ちは 消えるのかな。すっきりしない関係に 終止符を打てるのかな…? 「ね、ねぇ、シェゾ?」 「ん?」 「あ、あのね?」 「なんだ?」 平常心を装って訊きたかったのに、その気持ちを無にする様に、自然に声が 上ずってしまう。 その声音に反応したかの様に、シェゾは 初めて魔導書から顔を上げて、ボクの方を見る。 そのまま 視線が ぶつかってしまって、自然 見詰め合う形になってしまった。 まともに見詰め合ってしまって ドギマギしちゃって 声は益々上ずる。 「そ、その…っ」 「なんだ、さっさと言え、って」 「………何でも、無い」 碧い瞳、何もかもを 見透かす様な 深い色。 その色に怯んで、言いかけて飲み込んでしまった言葉。訊きたくて堪らない筈なのに。何だか訊けない、この関係が 壊れるのが怖くって。 「……?」 怪訝そうな顔をしながら、それでも 彼は また魔導書に 瞳を戻してしまった。 『振り出しに戻る』……そんな気分だ。結局は 何も変わらないままで。 ホッとしたのと つまんないのと。 そんな 相反するモノが 混ぜこぜになった、そんな複雑な気持ちのまま、仕方なく 雨だれと魔導書を捲る音を 黙って聞いていた。 さあぁ……と言う音、ハラリ、とページを捲る音、そして ボクの背中から じんわりと伝わってくる シェゾの温もり。 なんだろう…仕方無くの筈なのに、こうやって 自然な流れに 身を委ねていると、さっきまでのイライラや つまんない気持ちが どんどん消えていくのが判って。 ボクに対する シェゾの気持ちも、何だか 無理して知らなくても良いような気になってくる。 きっと 彼と こんな風に過ごせるなんて 奇跡みたいなものなのだろう。 今は それだけでも感謝しなくちゃ いけない筈なのに。焦っていたのが 馬鹿みたい。 本当は 未だに敵同士なのかも しれないけれど。 でも、それならそれで、ボクが勝てば良いだけの話。 今は シェゾと、こんな風に ゆったりまったりとした時を過ごせるだけでも 感謝しなくちゃ、なんだよね。 雨の音が、ボクの心を 解してくれる。 紙同士の 軽く擦れる音が、ボクの心を あったかくしてくれる。 ボクと彼の関係は 未だに良く判らないけれど。 でも、本当は 敵同士だった人と こうやって ゆったりと過ごせる幸せ、ってのを知った。 それだけで 今は良し、としよう。 雨の日位は しっとりと。 キミがいてボクがいる、何の変哲も無い 穏やかな日常。 たった それだけが 嬉しいって事を発見した日。 もしかしたら 雨の日、ってのは、こんな些細な幸せを きちんと見つめ直す為に あるのかもしれないなぁ、って。 柔らかな 二つの――雨だれと 紙の擦れる――音を聞きながら 考えた、そんな日―― 一寸した おまけ(シェゾ視点) |