理性と欲望の狭間





 出会った頃とは明らかに違う感情を、あいつに対して抱くようになったのは一体いつからだっただろう──。
 莫大な魔導力をその身に秘めた、太陽のように輝く少女。
 最初は、その輝くような魔導力が目的だった。
 だから、その魔導力が他の奴に横取りされぬ様、常にあいつを探知していたのだ。なのに、あいつときたら、次から次へと余計な事に首を突っ込むものだから、その度に俺は無駄な労力を使ってあいつの魔導力を守らねばならない羽目になってしまっていた。
 そうやってあいつに関わるうちに、ふいに俺は疑問を抱くようになったのだ。
 ──俺が本当に手に入れたいのは、あいつの魔導力なのか? それとも──?


「アルル、今日こそお前を頂くぞ」
「……シェゾ……またきみはぁ……」
 もう、いつもの日課になっていた。毎日必ずアルルのもとに赴き、勝負を仕掛ける。それがアルルに会いに行くための、唯一正当な理由だから……。
「いくぞ。……フレイム!」
「! アイスストーム」
 互いの魔導がぶつかり合い、相殺される。それを見計らい、一気に間合いを詰める。軽く剣を薙ぎ払うがすでにアルルは間合いの外に逃れていた。
 程々に力を加減しながら、勝たない程度、負けない程度に次の魔導を放つ。
「もう。じゅげむ!」
「……まだまだぁ。アレイアード!」
 昔ならともかく、今の俺はこいつ相手に本気の魔導を放つ事が出来なくなっていた。アルルは決して弱くない。俺が本気で仕掛けた所で負ける事はないはずである。
 それが出来ない原因は、俺自身にあるのだ。
「くぅ、もう。シェゾ、しつこい!」
「ふん。お前の能力はこんなもんか?」
 こんなやり取りを夕方近くまで繰り返し……。
「もう、だめぇ。おなかすいたぁ」
「…………おぅ」
 大半の魔導力と体力を使い果たし、疲労と空腹でやがて勝負は終結する。
「しぇぞぉ。ご飯……たべよぉ」
「……だな」
 そうして俺達は晩飯を食う為、アルルの家へ向かう。これもいつの頃からか日課となっていた。
 アルルの家に到着して、いつものようにアルルはキッチンへと姿を消した。俺はとりあえずリビングに向かい、ソファの上で奇妙に踊る黄色い小動物、カーバンクルを抓み上げた。
「どけ」
 カーバンクルを放り投げ、当然のようにソファに身を沈める。アルルの家に出入りするようになって、この場所が俺の一番のお気に入りとなっていた。


「──なんで、俺が獲物である貴様と馴れ合わねばならんのだ」
 初めてアルルが食事に誘ってきた時の俺の言葉。そう告げた時、アルルは心底傷ついたような顔をした。
 まただ。
 時々見せるその表情に、俺の心臓が鷲掴みにされたように痛む。アルルのこの表情に俺は逆らえない。
「……っち。しょうがねぇな」
 結局はそうやって、こいつのペースに流されていくのだ。アルルの満足そうな笑顔に、思わず毒づいてやりたくなる。
 ヒトノ気モ知ラナイデ……。
「お前が獲物である事に変わりはないからな」
「判ってるよ」
 いや。解かっちゃいない。今では別の意味で「獲物」になってしまっているんだ、お前は。
 俺の中で密かに成長を続ける、闇の感情。闇の魔導師としてでなく、一人の男としての欲望。
 ──お前のすべてを手に入れたい……。


「ぐーっっ!!」
「?!」
 殺気を感じ我に返る。本能的に飛び起きると、光線が頬を掠った。カーバンクルの額が煌々と輝いている。
「でぇぇい。この小動物は! なんなんだ」
「ぐぐっぐーっ!」
 言っている事はわからないが、怒っているらしく、手足をばたつかせている。ソファーを奪ったのがそんなに気に入らないのか?
「ぐぐぅー」
 カーバンクルの額が再び光る。
「てっめぇ。やろうってのか?」
「もう。やめなよ。二人とも」
 よく通る高い声が間に入る。振り返ると、カレーを手にしたままのアルルが戸口に立っていた。途端、カーバンクルが向きを変え、アルル──いや、カレーか? ──に駆け寄っていった。
「あん、かーくん。これは違うよ。かーくんのは、あっち」
 手にしたカレーを頭上に持ち上げながら、アルルはキッチンへと戻っていった。それを追うようにしてカーバンクルもキッチンへと消えていく。
「やれやれ……」
「シェゾー。食べるよぅ」
 アルルの声に俺もキッチンへと移動した。
 キッチンではすでにカーバンクルがすごい勢いでカレーを平らげはじめている。それを横目にテーブルにつくと、アルルがずっと手にしていたカレーを俺の目前に差し出した。
「?」
 カーバンクルに取られないよう死守してたのか?……の割には自分のカレーはテーブルの上に置いたままなのだが……。
 ま。いっか。
 俺も腹が減っていた。深く考える事もなく、俺はアルルからカレーを受け取るとそれを食う事に集中した。
「?」
 程なくして、視線を感じて食うのを中断する。アルルが向かいの席からじっと俺を見つめていた。
「……何だよ」
 居心地が悪くて思わず睨んでしまった。
 はっとしたようにアルルが曖昧な笑みを浮かべる。
「ううん。おいしい?」
「あ? あぁ、まぁまぁかな」
 変な奴。まぁ、確かにいつもに比べて少し甘い気もするが、不味くはない。適当に答えて、俺は残りに手をつけた。


「ごちそうさまぁ」
「…………」
 アルルの声に反応するように心臓がドクンと跳ね上がった。
 カレーを食い終わって、何気なくアルルが食い終わるのを眺めていた俺は、突然の息詰まるような苦しさに困惑した。同時に体温と鼓動の上昇を感じる。
 俺の変化に気づく事なく、アルルが立ち上がろうとテーブルに両手をついたその時──。
「いたっ……」
「あ……」
 俺の腕がアルルの腕を捕らえていた。
 いつの間に?
 慌てて手を引っ込めると、アルルの金無垢の瞳が不思議そうに俺を見つめていた。俺の鼓動がますます速まっていく。
「……なんだってんだ……」
 胸が苦しい。心臓が張り裂けそうだ。何かが、何かどろりとしたモノが身体の奥底から這い上がってきそうな、そんな気が、する。
 アルルの声が一瞬遠ざかり、変わりに鼓動が鼓膜を刺激する。
 何故だ。──理性の枷が外れかけている?
「シェゾ。大丈夫?苦しいの?」
 声と共に、肩にアルルの体温を感じた。
 どくんっ。
 一段と大きく鼓動が跳ね上がった。反射的にアルルの手を振り払う。
「離せ!」
「……あ……」
 乾いた音が辺りに響き、アルルの瞳に傷ついたような色がよぎった。
 限界だ──。本気でやばい……。
 俺は素早く魔導を編み出し、その場からの脱出を試みた。


「ここ……は……?」
 俺じゃない、声が呟く。
 腕にぬくもりを感じる。俺は確か、アルルの家から転移したはずだった。もちろん、魔導に失敗した訳ではない。
 ここは、見慣れた俺の家なのだから。誰もいないはずの──。
 なのに……。
「……何で、お前がついてきてんだよ……」
 きょとんとしたようにアルルが俺を見上げた。凄みを利かせた俺と目が合うと、さすがにまずいと感じたのか、慌てて手を放し降参するように両手を小さく挙げてみせる。
「……だって、君ってば何にも言わないで、消えようとするんだもん」
 がぁーっ。そんな、上目遣いで見るんじゃねぇ。
 一度は治まりかけた熱が一気に身体を駆け巡る。
 咄嗟に俺はアルルから視線を外した。
 何の為に転移したと思ってんだ。これじゃ、何の意味もないじゃないか。
「ったく、ヒトの気も知らねぇで」
「ねぇ。それより、大丈夫なの?もう苦しくないの?」
 しつこく俺を覗き込もうとするアルルを避けるように顔を背けると、ふいに両頬をアルルの手のひらで挟まれてしまった。そのまま無理矢理正面を向かされてしまう。
 アルルの金無垢の瞳が真っ直ぐ俺を見据えた。
 身体中の血液が一気に沸騰したような錯覚を覚える。
「ばっ……触るなっつってんだろ!」
 声がうわずっている。くそっ。感情が抑えられない。
 どんどん、衝動が湧き起こる。
「辛いんだったら、少し横になる?ほら。ここ、ちょうどベッドもあるし……」
 お前、それ意味解かって言ってんのか……?
「俺の部屋だよ」
「ほぇ?」
「だ・か・ら。ここ、俺の寝室なんだよ。お前、今の状況、判ってんのか?」
 解からない……とでも言うように、アルルはほんの少し首を傾げてみせた。そんな仕種がとてつもなく、俺の衝動を掻き立てる。くらりとした目眩を覚えた。
「……え?」
 アルルが反応するより早く、俺はアルルを引き寄せ、抱きしめていた。思いきり強く、折れてしまいそうなくらいに……。
 アルルの亜麻色の髪が軽く舞い上がり、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「え? え? ……シェゾ?」
 混乱したようなアルルの、くぐもった声が俺の胸の辺りから聞こえた。でも、俺は抱きしめる力を緩めない。
「あ、の……」
 アルルが身をよじる気配がした。頭を持ち上げて俺の目を覗き込む。
 ほんのりと紅潮した頬に微かに潤んだ瞳が、俺のすぐ傍にあった。
 ──欲しい。……手に入れたい。この瞳を、こいつの全てを……。
 昏い欲情が体内で蠢く。
 欲望にすべてが支配されそうになって、俺は思わず瞳を閉じた。
「……っ、くそったれ……」
 なんとか理性を総動員させ、アルルを解放する。
 こいつの身体だけが目的なんじゃない。こいつに嫌われる事だけはしたくないんだ……。
 ──俺だけのモノにしたい……。
「シェゾ。ねぇ。どうしちゃったの?」
「っるせぇ。……帰れよ。俺に近寄るんじゃ、ねえよ!」
 俺の理性がまだ、あるうちに……。何故だか今の俺はその沸き上がる欲望を抑えつけられない。
 ──止まらない……。欲しい。お前が……。
 今の俺は酷く危険で、お前を傷つけかねないんだ。
「シェゾ!」
 とん、っと軽い衝撃が背中に当たった。ぬくもりと重みがそこから伝わる。アルルから背を向けていた俺は、その重みがアルルのものだと気づくのに数秒を要した。
「何でそんな事言うんだよ。ボクは……、ボクは」
 やめろ。……手を放せ。頼む……。
 ──欲しい。このぬくもりが。……もっと、感じたい。この柔らかい肌を。
「ボク、絶対に帰らないからね」
「いい加減、っるさいんだよ」
 どちらに対して発したのかも解からない。
 気がつけば行動に移っていた。振り返りざま、俺はアルルの口唇をふさいでいた。自分自身の口唇で……。
 ふわりとした柔らかい感触が、唇を通して伝わってくる。
 突然の出来事にアルルは大きく目を見開いたまま、硬直していた。
 数秒の時が流れ、ようやく我に返ったアルルが軽く身じろぎする。
「んっ……シェ、ゾ……」
 はっとした。
 俺は、何を……。
 口唇を解放し、アルルの言葉を待つ。きっともたらされる拒絶の言葉。
 しかし、どれだけ待っても、罵倒は浴びせられる事はなかった。アルルは途方に暮れたような、複雑な表情で俺を見ているだけである。
 時間の流れが緩慢に思える。俺は、金縛りにでもなったようにじっとアルルを見つめていた。
 アルルは何も言わない。何かを探るように……、その金無垢の瞳がゆらゆらと揺れる。
「……逃げない、のか?」
 ようやく、言葉を紡ぎ出す。アルルが小さく首を左右に振った。
 ──否定。
 それが、何を意味するのか、こいつはちゃんと理解しているんだろうか?
 そっと、アルルの身体を引き寄せる。アルルは抵抗する素振りも見せず、大人しく俺の腕に収まった。
「どうなっても、俺は知らねぇから、な」
 俺は何度も忠告した。もう、とうに沸点は超えている。
 今更、泣こうが、叫ぼうが……もう、止められないから、な。
 もう一度、アルルの唇にそっと触れる。何度も何度も、感触を確かめるように位置を変える。
「ん、ふぅ……」
 ほんの一瞬、息継ぎの為に開いた唇をこじ開け、今度は更に深く口付ける。アルルの身体が微かに震えた。
「あ……ぅ……んんっ……」
 熱を帯び、うっすらと潤んだアルルの瞳。頬が更に紅潮し、逃れようとアルルの腕に力が込められた。
 もう、遅いんだよ……。
 ──理性という名の糸が切れたような気がした。




 腕の中で、アルルがぐったりしたように横たわっている。少々無理をさせてしまったかもしれない。
 言葉を発する事が出来ないくらい息を荒げた姿が、自分が元凶とはいえ、なんだか痛々しい。
 そっと髪を梳いてやると、アルルがうっすらと目を開けた。
「……こんな形で抱くつもりはなかった……」
 こんな、アルルを傷つけるような真似だけはしたくなかったんだ。
 らしくないと言われようが、その気持ちに嘘はない。俺は、アルルを失うのが一番、怖い。
 やさしい感触が前髪に触れる。アルルの細い指が俺の髪を静かに滑っていった。前髪から頬、そして首を伝い胸へと……。
 優しく滑っていく白い指を、俺は静かに見送った。
 ふふっ。
 微かな声に我に返る。
 アルル?
「……なんだ、よ」
 しばらく俺の目を覗き込み、ふんわりとアルルは微笑んだ。
「ご、めんね……」
 何が?
 この場合、謝るのは多分、俺の方だろう?
 なのに、何故だか救われたような気がした。アルルの笑顔が俺の心を軽くする。
 アルルは多分俺を嫌っては、いない。ならば、これは、これでいいのかもしれない──。
 俺はもう一度アルルを深くこの腕に抱きしめた。


 ──やっと手に入れた。……俺だけの……。


・・・END?・・・

──もう一つの結末──



*あとがき*


「媚薬」のシェゾバージョンです。
苦悩するシェゾが上手く表現できているか不安ですが、少しでも雰囲気が伝えられたら、光栄です。
しかし、またしても肝心な所は省略です。(笑)
シェゾバージョンなのでもう少し書いても……とも考えたのですが、なんだか皆さんの想像にお任せする方が雰囲気を壊さなくていい様に思えたんです。……言い訳ですがね。(苦笑)
苦悩するシェゾも好きですが、個人的に俺様で強引なシェゾも好きです。今度はそうゆう話も書いてみたいですね。


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