「連撃雷神拳!」
「ブ、ブレインダムド!」
 ほぼ同時に二人の声が谺する。辺りが大量のぷよやおじゃまぷよによって、埋め尽くされようとしていた。
「しつこい子ねぇ」
「それはお互いさまだよ」
 大量のぷよを上手く避けながら二人はなおも、次々と呪文を放つ。なかなか決着はつきそうにない。

 しかし──。
 勝負は、突然の声に中断された。
「一体、何の騒ぎだ?」
「サタン様?!」
 ルルーがきまり悪そうに、頬を赤らめる。大量のぷよをかき分けながら現れたのは、ルルーの想い人でもある魔界の貴公子、サタンであった。
「ルルー。これは、一体何をしているんだ?」
「あ、あの……」
 ルルーが頬を染めながら、もじもじと身体をくねらせている。先程までの気迫がうそのように消え失せていた。
 アルルも攻撃をやめ、密かに戦線離脱を試みる。
「今日は確か、私の為にカレーをご馳走してくれるのではなかったのか?」
「!!」
「! ──そうですわ。わたくしの、愛情込めて作ったカレーを……!」
 その言葉にアルルの足が思わず止まる。背中に当たるルルーの視線がとっても痛い。

 ──逃げ損なってしまった。

「……ほう?」
 背後にサタンが近寄ってくるらしい気配を感じる。アルルは観念すると、サタンの方に向き直った。
「サタン。あ、の……」
「お前。──名は?」
「…………はぁ?」
 自分の声と同時に発せられたサタンの言葉に、アルルは思わず頓狂な返事を返してしまう。
「あ……のぉ……」
「だから、名前。なんというのだ?」
 アルルの目前に立ち塞がる形となったサタンは、まるで品定めでもするかのように、アルルの全身に視線を巡らせる。頭のてっぺんからつま先まで舐めるように視線が絡まり、アルルは気味悪そうに眉間に皺を寄せた。
「一体……何を?」
 アルルの問いに答える気があるのか、ないのか……。
 サタンは一人納得するように、うんうんと満足げに頷くと、アルルの両肩をがっしりと掴んだ。
「突然だが、お前を后に迎えようと思う……で、我が后よ。私はお前の名が知りたいのだが教えてはくれんのか?」
「はぁ?!」
「サタン様!」
 ルルーが顔色を変え駆け寄ってくる。アルルは固まった状態のまま、サタンを呆然と見つめていた。
 求婚に驚いてと云うよりむしろ、別の意味でアルルは目を丸くしていた。
「何で? ボクの名前、知らないの?」
「何を言っている。今日初めて会ったお前の名前を、いくら私とはいえ、知っているはずはなかろう? それともルルー、お前の知り合いなのか?」
「何をおっしゃっているんですか?」
 ルルーがアルルとサタンの間に割り込んでくる。
 当然次に来るであろうルルーの言葉は、アルルを見事に裏切ってくれた。
「わたくしも、知りませんわ。こんな小娘」
「はぁ?!」
 ──なんで?
 驚きの表情を隠せないまま、アルルは、サタンとルルーを交互に見つめた。
 二人はいたって真面目な顔で、冗談を言っているようには見えない。
「ねぇ。ホントにボクの事、忘れちゃったの?」
「だ・か・ら、知らんと言っている」
「知らないわよ」
 二人同時に答えられ、ますますアルルは困惑の表情を深めた。
 訳がわからず、ぐるぐると思考が空回りを繰り返す。
 いつもと同じようで、どこか違う場所。そして、いつもと少しずつ違うみんな──。

 ──どこから、おかしくなっちゃったんだろう……。いつもと同じようにかーくんとお昼寝をしていて、……それから……。

「!」
 ──そうだ。かーくんの声で目が覚めて、茂みの中でかーくんを見つけてからだ。
 初めて違和感を覚えた時の事をようやく思い出した、ちょうどその時──。
「ぐーっっ!」
 聞き覚えのある甲高い鳴き声が傍で聞こえた。サタンの耳がピクンッと反応する。
「カーバンクルちゃん!」
 それまでとは一変した甘い声を発しつつ、サタンは茂みの影を横切ろうとしているカーバンクルに飛びついた。捕まってしまったカーバンクルが少々苦しそうなうめき声をあげる。
「サタン。かーくんのことは、解るんだ?」
「何を言っている? カーバンクルちゃんはわたしの大切な心の友だ」
 そう答えながら、なおもサタンのカーバンクルへの頬擦りは続く。
「おお。そうだ。后としての印に、このカーバンクルちゃんをお前に贈ろう」
「サタン様!!」
 ルルーの悲鳴に似た叫びの中、アルルの目前にカーバンクルが差し出された。
 アルルの両手の中で、カーバンクルの黒曜の瞳がじっとアルルの瞳を覗き込んでいる。
「かーくん?」
 まるで、見知らぬ人物を見つめるような眼差し。
 アルルは眉を顰めた。

「さあ、わが后よ。早速我が城へと案内しよう」
「ちょっと、お待ちになって下さい!」
 アルルの肩を抱き寄せるように、サタンの腕が伸ばされた。
 そこに怒気を孕んだ声が制止に入る。ルルーがサタンに詰め寄っていた。
「サタン様。わたくしを后にして下さるという、お約束では……?」
「いや……、も、もちろん。ルルーの事も后にする。……が、しかし──」
「? ──しかし?」
 サタンになおも詰め寄りながら、ルルーが片眉を上げて先を促す。
「や、あ……の。……そうだ。第二婦人では、ダメ、か? もちろん、第二婦人だからといって、おろそかにするつもりはないぞ。私は、博愛主義者だからな」
 サタンが独り納得するように、うんうんと頷きながら胸を張ってみせた。
「そ、そんなぁ……」
 ルルーは涙を浮かべたまま、不平の声を漏らす。
 そんな二人のやり取りをボーッと見つめながら、アルルは今までの事を考えてみる。
 そういえば、今日はまだ一度もみんなに名前を呼んでもらっていないような気がする。
 アルルの事を知らないと言った、サタンやルルーはもちろんの事、ドラコにウィッチ、それにシェゾからも……。
 ──もしかして、シェゾもボクの事、忘れちゃってるの、かな……?
「何だ。お前、まだ逃げないでこんなトコにいんのかよ?」
「! シェゾ?!」
 ちょうどシェゾの事を考えていた時だった為、アルルは飛び上がるように背後を振り返った。そこには、空間転移の風を微かに残し、シェゾが立っていた。
「シェゾ。ちょうど良かった……。君に聞きたい事があったんだ」
「ん?」
「……あ、の……」
「……何だ? お前は?」
 アルルの質問は、最後まで紡がれる事なく、別の声によって遮られてしまう。
 ルルーをひきずるようにして、サタンが二人のそばまでやってきていた。
「我が后に、随分と馴れ馴れしいではないか」
「……そうなのか?」
 シェゾが心底不思議そうに眉を上げた。
 アルルは慌てて首を大きく左右に振ってそれを否定する。
「勝手にそう言ってるだけだよ」
「后よ。それは、あまりにも冷たいぞ」
「サタン様!」
 一度に様々な声が交錯し、そのあまりの騒がしさにシェゾの顔が思わず歪められた。と、それを見咎めたサタンがシェゾに指を突きつけた。
「貴様……、どぅーも態度が気に入らんな」
「そりゃぁ、悪かったな」
 サタンの言葉にちっとも悪びれた様子も見せず、シェゾがさらりとそう告げる。そんな態度が気に触ったのか、ますますサタンは憤慨した様子を見せた。
「貴様、私の事をバカにしてるだろう! いや。バカにしているに違いない! ──こうなったら、貴様なんぞ成敗してくれるわ」
「はぁ?!」
 言うが早いか、彼の手のひらに膨大な魔力が集結し始める。そんな様子に、シェゾが大袈裟なほど、大きなため息をついた。
「……やってられんな」
 そうして、小さく転移の呪文を口にする。
「あ。ボクも一緒に連れていって」
 アルルの言葉にシェゾは黙って、アルルを引き寄せた。
 刹那。
 二人は掻き消えるようにその場から姿を消したのだった。

 数秒後──。
 呪文を組み上げ目を開けたサタンが見たものは、寒々と風が吹き抜ける無人の空間であった。
「……に、逃げられた……」
 呆然としたサタンの口からなんとも間抜けな呟きが洩れた。



「──ここ、どこ?」
 目の前の風景が変わり、アルルは辺りを見回しながらそう尋ねた。
 どこかの湖畔に出たようだが、やはり見覚えのある場所ではない。
「知らん。……適当に安全な場所を選んだだけだ」
「……そうなんだ」
 それだけ答えると、アルルは適当な場所を見つけて腰を落とした。シェゾも自然とそれに続く。
「ぐーっ」
「……なんだ。その小動物、連れてきちまってたのかよ」
 シェゾがアルルの腕の中に手を伸ばし、物珍しいものでも触るようにカーバンクルを突付き始めた。それを避けるようにカーバンクルが、狭い限られた空間で身を捩る。
苦笑しながらアルルが、彼(?)をそっと解放してやると、自由になったカーバンクルは嬉しそうに大きく伸びをした。
「そういえば。お前、俺に何か聞きたい事があったんじゃ、なかったか?」
「……うん……」
 思い出したようなシェゾの言葉に、アルルが曖昧に答える。
 言いにくそうに、少しの間戸惑った後。
 アルルはおずおずと口を開いた。
「う〜ん……。──あのね。シェゾ。君、ボクの事覚えてる?」
 意図を計り兼ねるようにシェゾは軽く片眉を上げてみせた。
 今度は少し質問を変えてみる。
「君、ボクの名前……知っている?」
「知らん」
 それには即答が返される。
 アルルが落胆したように、大きくため息をついた。
「そう……。やっぱり君もボクの事、覚えてないんだね」
 非難めいたその言葉に、シェゾは途端に不機嫌そうに目を細めた。
「覚えてないも何も……。俺は、お前とは初対面だぞ」
「…………」
 その言葉で、アルルは確信を持ってしまった。
 ここにアルルの事を知っているヒトは一人もいない。
 いつもと同じようでいて、まったく違う──ここは、アルルの知らない世界──。

「……ここの君は……変態じゃぁ、ないんだね」
「はぁ?!」
 何気に酷い事を呟きながら、アルルは少し寂しそうな表情を浮かべる。
「どうしたら、帰れるのかな? ボクの元いた──」
「いやーっ。食べないでーぇ!」
 アルルの言葉を掻き消すような大悲鳴が静かな湖に広がった。
 顔を見合わせ、二人は悲鳴の方へと駆け出した。
「いやー。いやーっ。や・め・てーっ!」
 湖に半分身を乗り出すような格好で、じたばたと尾を振り回すうろこさかなびとの姿が遠く見えた。
 振り回される尾の先に黄色い物体がくっついている。よく見ると、いつの間にか消えていたカーバンクルが、がっぷりとかぶりついていた。
「かーくん!」
 そばまで駆け寄ると、急いでカーバンクルをうろこさかなびとから剥がす。
 勢いのまま、うろこさかなびとが湖に飛び込んだ。
「ごめん、セリリちゃん。……大丈夫?」
「!」
 心配気に手を差し伸べるアルルに、セリリはあからさまに身体を強張らせる。
 差し出された手から遠ざかるようにすぅっと距離をおいて、怯えた視線を二人に向けたまま、セリリは怖々と口を開いた。
「……あなたどうして私の名前を知っているの? やっぱり私の事をいじめに来たの?」
「……え……」
「そうね。きっとそうだわ。あなたたち、私の事虐めるんでしょう?」
「……ち、ちが……」
「……何なんだ? こいつは」
 呆れたようなシェゾの言葉にセリリがビクリと肩を震わせる。
 涙に潤む蒼い水晶のような瞳がシェゾに向けられた。
「俺たちは、たまたまここに辿り着いただけだ。貴様の事なんぞ、知らん」
「あの……。でも、ホントだよ。ボクたち、君の事虐める為にここにいる訳じゃないからね」
「でも……。ソレが私の事を食べようとしたわ」
 アルルの腕の中で涎を垂らすカーバンクルに恨めしげな視線を投げつつ、セリリが反論する。
「それは、ホントにごめん」
 素直に頭を下げつつ、カーバンクルの頭(……というか全身?)も一緒にお辞儀させる。それで、やっと安心したのか、セリリの表情がほんの少し緩められた。
「じゃぁ……。ホントに私を虐めに来たわけじゃ、ないのね?」
「うん。もちろん」
 力一杯頷くアルルを見て、ようやくセリリの顔に笑顔が戻った。
「よかったぁ。──あ。……でも、あの……、それじゃぁ、何故私の名前を?」
「あぁ。──それはね」


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*あとがき*


終わりません、でした……(汗)。
ストーリー自体はもう完成していますので、「後編」も近々公開されるはずです。(……多分)
もうしばし、お付き合い下さいませ。


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